いなくま こうせい




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パシャッ!パシャッ!

「いいよ。その調子だ。」

女の子は、慣れない状況に顔を赤らめつつもポーズを決める。

「うまいねえ。どっかのモデルさんみたいだ。」

パシャッ!パシャッ!

男は、足場が悪い事など全然気にしていないといった感じで、カメラのアングルを巧みに変えながら、尚も写真を撮り続ける。

そんな男の褒め言葉に少し照れつつも無邪気に振舞う女の子は、一段と澄んだ瞳を輝かせ上目使いに甘えてみせる。

モデルみたいという言葉を聞いた事により、ますます御機嫌麗しくなった子猫ちゃん。

彼女は更に森の中を自由自在に走り回って、妖精のように跳んだり跳ねたりを繰り返す。

「次はこっちに来て、その木に、もたれかかりポーズをとってくれるかな?」

「は〜い。」

かわいくおどける仕草などは、まだまだ中学三年生のあどけなさを感じさせる。

真っ直ぐに伸びた長い髪と、しなやかな身のこなし。穢れを知らない大きな瞳が女の子の清純さを物語る。顔に満面の笑みを、こぼしている所が、男に対して彼女なりの従順の証。お互いを思いやる信頼の掛け合いは抜群である。

いや、[抜群だった]と言った方が正しいだろう・・・次の一言を発するまでは・・・

「は〜い。いいよ。じゃあ、次はその場に座り、こっち向いて両足広げてくれるかな?」

「えっ?」

一瞬、女の子は耳を疑う。

パシャッ!パシャッ!

瞬時に女の子はカメラから顔を背ける。

乱暴なまでのカメラのシャッター音。その場に背を向けて立たずんでいる女の子に情け容赦なく浴びせかけられる。

[何で私がそんな格好をしてみせなくちゃいけないの?]そういった考えが素早く彼女の脳裏をよぎる。

この時である。今までまどろんでいたはずの空気が一変し、一気に加速し始めていったのは・・・自然に聞こえるシャッター音が、しつこいほどに背中に覆い被さってくるのを女の子は感じると、彼女の顔は段々と強張り始めていく。

「こっち向きなよ。今の言葉、聞こえたよねえ?はい、じゃあやってみて。」

あくまでもリズミカルに言いながら男は平静を装うと、女の子に、にこやかな顔を見せつけて、わざと明るく振舞っている。何も起こっていないような沈着冷静ぶり。

「あのうぅぅーーー!そんな事、聞いてないんですけど・・・」

パシャッ!パシャッ!パシャッ!パシャッ!パシャッ!

再度、カメラに顔を向けると嵐のような連射が彼女を襲う。返事をしない代わりに尚も休まることのない執拗なまでに撮り続けるカメラのシャッター音。まるで早くしろと言わんばかりの苛立ちが入り混じって女の子に襲い掛かっている。

「何、下向いてんだよ。笑って。早く。こっち向いて。」

女の子の困っている姿など、いっさい自分には関係ないといった面持ちで冷酷に受け流す。

パシャッ!

「聞こえてんのか?おい。早くこっち向けって言ってんだ!いつまでも下向いてんな!!」

耐え切れず男は大声になる。魑魅魍魎の憑依によるものだろうか?いきなり豹変した男の声には半分は苛立ちといった震えが、後の半分は脅しによる震えが含まれている。

「あのうぅぅぅーーー・・・」

「ばっきゃあろーー!もじもじするな!早くしろ!!」

一瞬、男の壊れかけた小脳を通る事により制御不能となった脳からの指令が、まるで弾丸が弾かれたように飛び出していく断綴型罵詈雑言。女の子は思いもよらないその情動のまま発せられた言葉に面食らってしまう。間髪入れず男が言い返すところからして、つけ入る隙など決して彼女に与えさせはしない。

カメラを構えながら冷たく突き放す男のそんな荒々しい声に、とうとう女の子は驚きのあまり顔から完全に笑みが消え、何一つ言えない状況になってしまう。若さが漲り、活発だった彼女の体は、動きだけでなく呼吸さえも少しの間、凍りつき、身じろぎ一つする事無く静止したままになっている。

「いいか。もう一回言うぞ。こっち向け。そして早くしゃがめ。」

男は低いしっかりとしたスローテンポの声で言い放つと女の子の顔をじっと見据えている。

まさに蛇に睨まれた蛙。

止まっていた呼吸が急に動き出し、猛烈な勢いで上下運動を始めだすと、女の子は嫌とは思いつつも観念したように、その場にしゃがみ込む。そして、ゆっくりと控えめに両足を開ける。抵抗するというよりも隷従の道を選ぶしかない。この状況では・・・

パシャッ!パシャッ!パシャッ!パシャッ!

待ってましたと言わんばかり、ぎごちない態勢になりながらもフラッシュの嵐を浴びせかける男。

「いいよ。いいよ。やれば出来るじゃないか。はい、じゃあ次は下着を脱いで。」

「私、帰ります。」

嫌。そんなの絶対出来ない。このままだと、段々エスカレートしていってしまう状況に女の子は、耐えかねて堪らずに立ち上がる。

そんな反発している女の子の状況を見て、男は業を煮やしたらしく、持っていたカメラを首に掛けると渋い顔を作りながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。

「このままで終われると思うなよ。お前。」

今までにない脅しと強弱をつけた凄みのある低い声。とうとう男は切り札であるジョーカーを出す事となる。その言葉を言ったと同時に女の子の腕をグイッと力強く掴み、更に手繰り寄せたかと思うと乱暴な手つきで、もう片方の手を彼女のスカートの中に潜らせる。

「どうだぁ?あぁ?」

「や、やめてください。」

女の子は、少したじろいだが男の狂気に怯えを感じ、体を凍結させ何も出来ないでいる。

悲痛な叫びもただただ消えいくだけ。[こんなはずでは・・・]頭の先から足先まで怖さで震えが止まらない。まるで金縛りにあったかのよう。あっという間に下着が引きずり下ろされてしまう。男は尚も容赦なく作業し続け、一向に手を休める事は、しそうにない感じである。次に女の子の腕をしっかり鷲づかみにし、下着を剥がしにかかった方の手でスカートの襟を腰の所に持ってきて、かけ留めに入っている。

そうすることで女の子の恥部があらわとなる。それを確認した男は素早く肩にかけてあった肩紐を外し、カメラを身構えに入る。

パシャッ!パシャッ!パシャッ!

至近距離にも拘わらず、執拗なまでのシャッター音。蛇のように自由自在に腕が伸びてきて、たとえ無理な態勢といえども、構わず彼女の体に絡みつき、大胆に迫ってくるカメラのレンズ。強引であり巧みに操る男の素早さ。破壊という名がぴったり当てはまる力強い腕力。抵抗しようにも恐怖で震えるしかない女の子は、まさに子羊そのもの。

「い、いや、いやあぁ〜!」

女の子の肉声が、森中に弾かれたように、こだまする。

直後、周り一帯にシャワーのように降り注がれる不気味な静けさ。その声に二人を取り囲んでいた獣たちのざわめきが一斉に鳴り止む。

それからしばらくの間、厳粛なまでの森の静寂が続く事に・・・

八百万の神々も一緒になって、まるで女の子の次の動向に注目しているかのよう・・・

とうとう女の子は悲痛な表情になり、困りきった挙句、どうしようも出来ないこの状況に、こらえ切れず泣き始めてしまう。そんな行き場を失った女の子の困り顔と、よがり泣く肉声が、男には逆効果となり心の奥深くにある猛り狂う欲情の炎に油を注ぐ事となる。

「いいか。ちょっとでも変なマネしやあがると、これをばら撒いてやるからな。ふっふっ。」

男は、ひととおり撮り終えると、そう言ってカメラをかざし、軽く鼻で笑う。

バサッ!バサッ!バサッ!

近くで二人の様子を見ていたフクロウが急に何かを予知したように遠く樹海奥深くに飛び去っていく。

「これからは、お前は俺の奴隷だ。いいな。わかったな。」

男は冷徹にも、気味悪い程に微笑みながら、女の子に言い放つ。そして念を押す。

奴隷・・・この言葉の意図するもの。

女の子はそれを言われた瞬間、どす黒く冷え切った絶望の淵へと沈み込んでいく事となる。

「あっはっはっは!」

突如、男は勝ち誇ったように森中に響き渡る声で、声高らかに笑い出す。

奴隷・・・

ぐるぐると、この言葉が女の子の頭の中を駆け巡り、旋回する。[こんなことになるなんて・・・どうしたらいいの?]女の子がそう思った瞬間である。空が一瞬、ピカッと光ったかと思った刹那、雷鳴が鳴り轟く。

ポツリ・・・ポツリ・・・

天を仰ぐと大きな雨粒が木立ちの間を通り抜け、女の子の頬にあたる。

雷が近づいている。

ひと雨きそうな、そんな予感。

「あーっ!」

その時である。突如、男が叫び声をあげた。

見ると、男の足下に二mはあろうかと思う程の大蛇が、躍動感漲らせ荒れ狂いながら男の右足に噛み付いていた。

蛇は男に縄張りを荒らされたかで、足に激しく噛み付いてなかなか離れようとしない。

「くそぉっー」

男は苛立ち混じりに、そう言うと怯んだ拍子に手に持っていたカメラを地面に落としてしまう。呪縛を解かれ、晴れて自由の身となったそのカメラは、まるで喜びはしゃぐ子供のように地面にコロコロ転げ回る。

雨も手伝ってか、男は完全に重心を失い、その場に倒れる他なかった。さっきの勝ち名乗りもどこへやら、実に無様な格好の男が一人、地面に四つんばいになり、ひれ伏していた。

チャンス。女の子は、慌ててその状況を見るや、カメラを拾い上げ一目散に走っていた。

今日は野外で撮って貰う初めての撮影会。[中学最後の記念として君のカメラで綺麗に撮ってあげようと言ってくれたから応じたのに、こんな事になるなんて・・・]

知人である男という気の緩み。取り返しのつかない青春。溢れ出す絶望感。

女の子はそれら全部を抱きかかえ、全速力で一心不乱に走った。そして逃げた。

不運にも降り出した雨によって地面が滑りやすくなっている。

ピチョッピチョッピチョッ!

雨が次第に大粒になり、音の間隔も段々と短くなる。大雨になるのは確実である。

「まてぇ!こらぁ!」

そう言いながら、男が追いかけてくる。女の子は後ろを振り向くと、距離にしておよそ十m程度の距離がひらいているのが確認できる。

でも逃げても逃げても男は追いかけてくる。決して諦めたりしない。男としても逃げられてしまう訳にはいかないので必死である。

あと少しで森を抜けられる。とにかく一生懸命走るしかない。

このまま走って、鬱蒼とした森を抜けさえすれば民家がある所に到着できることが、わかっている。そこへ逃げ込み助けを請うのだ。そうすれば何とかなる。そのためにはただガムシャラに野道をひた走るしかない。

とはいえ所詮、女の子と男の競争。身体能力の差は歴然。そして屈しくも滑る地面が、女の子の重心のとらえどころをあやふやにさせ、男にとって捕まえやすい条件を提供しているようなもの。距離は段々と狭まってきているのは明らか。

力の差を見せ付けているようだ。まるで女の子の助走が男の手の平で遊ばれているような、そんな状況と何ら変わりはしない。

さっきまで十m程だった距離は、すでに七mをきっている。

息が荒くなり足が痛くなってきている女の子の全身に雨粒は激しくまた情け容赦なく襲い掛かっている。最悪ともいえる洗礼。

ピカッ!ゴロゴロゴロゴロ!

耳をつんざくほどの雷鳴が静寂を切り裂き、女の子の逃げる気持ちを萎縮させる。体に於いては大地に伝播した轟音が全身を突き上げ、眩い程の閃光が網膜を焼きにかかる。

そんな状況にもかかわらず、女の子は、どうにか走り切り、頑張って森を抜け出す事が出来たのだった。

更に抜け出した先には、どんよりとした雲が一面に広がる天空と両サイドには草が鬱蒼と生い茂る一本道が視界全体に広がっていた。やがて垣根のある民家が見えて来る。しかし入口は真逆であった。これまた最悪の状況。男との差は五m程。女の子は素早く頭の回転を早め、どうしたものか考え巡らす。[駄目。このペースなら民家に逃げ込む事などとても出来そうにないわ。その前に捕まってしまう。私の体全体、あの男の肩に担がれたら、それで終わり。]女の子の甘い考えは完全に影が差し込み、全てが覆いつくされる。ならば、

「お願い!誰かこの道を歩いていて!」

女の子は口に出し、拙にそう願った。

歩いている人がいれば、その人の胸に飛び込み、助けを請う事が出来るからだ。

しかし運命というものは、無情にもそんな女の子に不利に働いた。

女の子は、もう駄目だと判断し、手に持っていたカメラを民家に向け、放り投げるという苦肉の策に出た。女の子からしてみたら荒技の一つ。でも仕方がない。

放物線を描いたカメラは、壁の様な高い垣根を乗り越え何かは判らないある物に当たった。

ガチャーン!

低いくぐもった陶器が割れる音。

「こらあ〜ゴールドキッズ・・・」

何やら、家の中から老人の声で、そんなふうに聞こえた気がした・・・が、そんな事を気にしている余裕などあるはずも無い。

[奴隷]森の中で男が言い放った言葉。

この言葉に女の子は、この先のあらゆるものに呪縛されるであろう危機感を瞬時に感じ取り絶望していた。

頬にあたる雨粒が、[お前は、そんな覚悟をもっているのか]と言わんばかりに横殴りに殴りつけてくる。

さっきまで好意的に見ていた男の存在が、今では悪魔以外の何者でもない。

道行く先、十m位前方には、線路が横断している所に辿り着く事になる。女の子にとって他に逃げ場は有りそうも無い。

カンカンカン

見ると警笛が鳴り響き、もうすぐ電車が横断しようとしているのが伺い知れる。

男との距離は三mくらいに迫ってきているであろう。

背後に男の厭らしい息遣いが聞こえ、間近に迫る距離感が肌に鋭敏に伝わってくる。

「へっ、へっ、へっ」

背後で、男の不適に笑う笑い声が不気味に聞こえる。

線路の所まで行けば、女の子を封じ込められると判断した男の計算高いへら笑いであろう。

奴隷、奴隷・・・

奈落の底に叩きつけられたも同じである女の子の脳裏には、その言葉が、脳内を支配し、凄まじく荒れ狂っている。

一瞬、男に背中を触られた気がした。

仮にこの場所がサバンナであったと仮定するならば、男は疾風のように自由自在に駆け回るチーターそのものであり、女の子はというと逃げてはいるが、やがてチーターに捕まり確実に喉元を噛み砕かれ、窒息死させられてしまう運命の持ち主、トムソンガゼル。

[あ〜どうしよう。もう捕まってしまう。]奴隷、奴隷・・・

それでも、やっとの思いで女の子は走りきり、線路まで辿り着く事となる。

カンカンカン

うるさい程の警笛が女の子の行く手を阻む事となった。

ガッ!ガッ!ガッ!ガッ!ゲチャッ!ゲチャッ!ゲチャッ!ゲチャッ!

ガッ!ガッ!ガッ!ガッ!ゲチャッ!ゲチャッ!ゲチャッ!ゲチャッ!

線路の周りを取り巻く色んな種類の蛙たちは、激しい雨に気を動転させ、興奮しまくり大合唱している。あたり一面の鳴き声が凄まじいボリュームとなり、あらゆる生命の鼓膜を狙い撃ちする。まるでそれは大小様々な呻き声のようにも聞き取れ、口々に祈りを捧げているようである。その脈打つテンポのスピリチュアルアートは、辺り一面においてインドネシア、バリ島の舞台芸術ケチャを彷彿とさせる盛り上がりになっている。喧騒による音とスピードによるその場のカットシーンは、もはや最高潮の域に達したみたいだ。明るい中に淀んだ暗闇が支配する神々しい神聖かつ荘厳な序章の幕開け。内部に仕組まれた歯車が、今ようやくガタガタガタと回り始め、今まで前を覆っていた緞帳を持ち上げにかかる。

さあ、いよいよ今からが戦いとも言うべきであろう一大スペクタクルの始まりである。

男は、とうとう追い詰めたと思い、立ち止まりながら女の子の顔をジッと見る。

そんな女の子も線路の手前で向きを変え、男と睨み合う形となる。着ている白のブラウスは雨にびっしょりと濡れ、胸にへばり付き乳房が透けて見えている。

こんな切迫した状態ではあるが、男は舌で唇を濡らし、浮き出た女の子の乳首をまるで舐めるようにジロジロ眺めながら厭らしそうに薄ら笑いを浮かべている。まだまだ男は女の子とのやりとりを楽しんでいるとでもいった有様が伺い知れる。

ピカッ!ゴロゴロゴロゴロ!

一瞬にして空間を白く覆い尽くす稲光。耳をつんざく程の激しい雷鳴。

二つが上手に組み合わさって二人のちょうど真上というか頭上にきた稲妻が、呑気に二人を眺めながら、高見の見物と洒落こんでいる。

ザァー!ザァー!

バシャ!バシャ!バシャ!

ふと気付くと、ここでも二重奏が形成され、次から次へとパラシュート状に空中あるいは地上に素早く舞い降りた暴雨が、ゲリラ豪雨と変貌し、女の子に襲い掛かって、体全部を包み込んでいる。地上においては、合流して一点に注ぎ込まれた雨水が、たちまちのうちに激流となり、全てのものを洗い流し、略奪しにかかっている。豪雨は、この差し迫った状況を俺は待ってたんだぜと言わんばかりに、地面に我が身を叩き付け、まるで太鼓を乱れ打ちするかのようにその場を盛り上げ、この緊迫した状況に花を添えている。雨量も最高潮。まさに叩きのめすようなドシャブリ状態となり二人を直撃、しっかり相手を見ようとする目を潰しにかかる。尋常じゃない域に達しているその場のボルテージは脳天を突き上げ、破裂しそうな勢いになって、全てのものを失神させようとしている。

カンカンカンカ・・・カン

さっきまで聞こえていた警笛も桁違いに強くなった雨音と雷鳴で、幾分かき消されている。

マリオネット

ふと女の子の脳裏にこの言葉が思い浮かぶ。良く言えば任せるだけで操作されるお気楽な操り人形。悪く言えばいい様に操られ、決して自動制御の許されない、利用され続け、いい様に遊ばれるだけのシモベ・・・それが男の言っていた奴隷・・・[嫌。私がこの人のマリオネットになるなんて。絶対・・・死んだほうがまし。]この時である。女の子が死へと続く階段を急いで登り始めたのは・・・

「お母さん、ごめんなさい。」

突然発せられた憂い混じりの母へ送る懺悔の言葉。

スコールのように激しく降りしきる雨の中、女の子は、ポツリそう呟くと前にいる男を、じっと睨んだまま後退していった。そして電車にあたる寸前でジャンプをする。

一瞬の出来事。まるで目に見えないピアノ線に、体ごと引っ張られるように女の子の体は地上一m、空中に浮き上がる事に。

それはいさぎよい恐れを感じさせない素早い動作だった。

「ああっ!」

それを見ていた男は思わず、声を上げ両手を挙げた。

ひらひらひらひら

スローモーションでも見るかのように一連の動きが秒視できた。

宙に舞って落下する時の女の子の体と彼女が身に纏うはためくブラウス、絡み合う手足・・・それはまるで蝶の舞。優雅にすら見えた。

プーゥー!

瞬間、警笛とともに、女の子の体は、猛烈な勢いの電車に吸い込まれていく。

ギーガシャン!ゴトン!ゴトン!ゴトン!キィィィーーーーーーーーイ!

今まで平穏な音で運行していた電車が、急に姿を変えると、けたたましい音とともに、急停車していた。何という事だ。花畑を自由に飛び回っていたモンシロチョウは、衝突した瞬間、たちどころに内臓破裂を余儀なくされ、圧死せねばならない運命を背負わされたのである。

死んだ・・・死んでいった・・・女の子は電車に轢かれて死んでいったのだ・・・

死ぬには余りにも早すぎる生命の終わり。彼女は何も厭わずその道を選んだのだ。

グゥォーーン!グゥォーーン!グゥォーーン! 

湿地で様子を見ていたウシガエルが、まるで禅寺のつり鐘を打ち響かせるように低く悲しい鳴き声を出し、たった今、亡くなった女の子に向け煩悩払う訳でも無く、早くも念仏を唱えている。

「ちぇっ。」

そんな中、予想だにしなかった出来事に対し、冷酷無比な男の舌打ちによって、全てのものが一瞬にして、また幕を下ろしたのだった。

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