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「さっきの人何だったんだ?」

僕たち三人は下校の最中。

「ん〜。私、気のせいかもしれないけど、あの人どこかで見たような気がするのよねぇ〜。」

歩美が何やら考え込みながら口に出す。さらに続けて

「やっぱり駄目だわ。どうしても思い出せない。でもあの人、悪い人では無さそうね。口調、雰囲気からしてどこか高貴な人のような気がするわ。」

「え〜?そうかあ〜?お前、あの短時間にそんなことまで感じとったの?」

「いや、なんとなくそう感じただけよ。それに言葉の調子から見ると、なんとなく優しそうな感じもするわ。」

「へえ〜すごいな。歩美。まるであのおっさんを好きにでもなったみたいだ。白馬に乗ったおっさん・・・みたいな。以前、どこかで見た事あるって、あのおっさんと赤い糸で繋がってんじゃないの?」

「冗談言わないでよ。」

何を言い出すのという顔で歩美はキッと僕を睨む。

「しかしまあ〜この学校の警戒が厳重の中、よくもまぁ突破しようとするもんだ。俺なら、百万円つまれても、やなこった。」

「え〜?兄ちゃん、百万でも無理なの?」

「ああ。いやだね。お前見たかよ?あの猪木ばりの筋肉マン稲垣のアームロック。あんなのに十秒もやられてみろ。首やら腕が、ボキボキにされたあげく使い物にならなくなっちまう。特に、この未来がある大切な俺様の体。傷物にでもされてみろ。お婿に行けないばかりか日本スポーツ界の致命的なダメージになりかねない。存亡の危機とでも言うんだろうな、きっと。まさに大打撃だ。」

「ぷっ。」

たまりかねて、歩美と和樹が一斉に吹き出す。

「何が、おかしい?腕ひしぎ逆十字で五百万。四の字固めで軽く一千万はくだらないだろうな。きっと。」

「その足がねえ〜?」

歩美が、僕の足の付け根から、足先までをじっくりと品定めするようにじろじろ見る。

「その臭い足がねえ〜?」

和樹も歩美につられて僕の足を面白おかしく眺めている。

「臭いだけ余分だろ。」

「だって臭いんだもん。ねえ、歩美姉ちゃん。聞いて。聞いて。すごい兄ちゃんの足って臭いんだよ。家の下駄箱にしまってある靴あるでしょ?すごく臭うからさ。この前、僕が下駄箱の扉、開けてみたのよ。そしたらさあ〜異様に兄ちゃんの靴だけが臭いのよ。なんかこう酸っぱいっていうかさあ〜慌ててその時、下駄箱を閉めたんだけど、その残り香といったら、臭くて臭くて、たまんなかったね。残り香だよ。残り香。信じられるぅ〜?そりゃあもう〜大変よ。しばらくの間、その周りの臭いがなかなか消えなくてさあ〜ありゃ〜全く悲惨極まり無かったね。スカンクの屁みたいなもんさ。父ちゃん、母ちゃんがその近くを通るんだけど二人ともそこを通る度に、小言言ってんの。なんかここ臭わないか?なんかここ臭うわねえ〜って。怪獣スッパゴン下駄箱に現わる。みたいなさあ〜」

「やだあ〜そうなの?」

ケラケラと近くで笑い出す歩美にさらに続ける和樹のおしゃべり。

その和樹の背後に僕の持っていたサッカーボールは足の上で上下運動を始め出した。

リフティングによるキックオフは今始まったのである。

僕は、リフティングしながらも巧みに体の向きを変え、照準を絞る。

上下運動するボールの向こうは狙うべき獲物である小さい体。我が弟、和樹の野郎唯一人。こいつもどちらかと言うとスピッツの野郎と同じ部類にはいる輩の一人。

「ありゃあ〜兄ちゃん、足に何か飼育してるね。水虫になってるのかも。聞いたことある?小学六年生の水虫ってさ。おやじだよね、まったく。僕、移されるんじゃないかと心配で・・・」

「面舵いっぱい。北緯四十五度、発射準備よぉーし・・・発射。」

僕は適当にその言葉の意味が正しいかどうか知らないが思い浮かぶだけの言葉を言って、和樹の背中めがけサッカーボールを蹴っていた。

ボコッ

「うっ・・・」

朝と同じように直撃を食らった和樹は背中を押さえて、うずくまる。

「またやるぅ〜〜かわいそうでしょ?弟が。大丈夫?和樹君。公園行きましょ。手当てしてあげるわ。」

言われるがまま歩美の肩に掴まりながら和樹は公園へと向かう。そこには歩美に分からないように、僕に向け、しっかりとアッカンベーをする和樹の顔があった。

ちくしょ〜人の気にしている事を、母ちゃんの前やら歩美の前で気安く言いやがって。もう勘弁ならねえ。弟のくせに。はらわた煮えくり返りそうだ。

「かかってこい。マラドーナ。」

手当てを受けた和樹は、さっきの痛がる素振りもどこへやら腹の底からしっかりとした声を出し僕を挑発している。

マラドーナとは、1977年から1994年に活躍したアルゼンチンを代表するサッカー選手で選手時代は神の子、カーリーヘアーの天才児とも呼ばれていた天才サッカー選手である。中々兄貴である僕の実力をわかっているじゃないか?わが弟も。

そう。僕の夢はサッカー選手になる事。昔のマラドーナのような華のある選手になりたいと常日頃から思っている。そこまで言うのなら見せてやろうか?僕のリフティング。軽く百回は出来るのさ。自分でも惚れ惚れしてしまうこのリフティング技術。その動きたるやまるでサッカーボールに糸がついているんじゃないかと思われるほど、僕の前をヨーヨーみたく上下運動するのである。そして獲物が決まれば野獣のように襲い掛かる。

まさに、[蝶のように舞い、蜂のように刺す。]である。

まあ、ブラジルの選手ロナウジーニョが見れば、こいつには勝てねえと判断し、顔が黒から真っ青に変化してブラジルにシッポ巻いて逃げるだろう。そして世界中の美女たちは、僕にまとわりつくに決まっているのさ。間違いなくハリウッド女優はウインクをし、グラビアモデルは僕に抱きついてレースクィーンはキスをする。よせよ。僕をそんなに困らせるのは・・・そんな空想を考えながら僕は独り楽しんでいた。そんな時・・・

「承君、聞いてるの?」

ふとそんな声が聞こえたような気がして妄想の世界に入り浸り、下を向いていた視線を真っ直ぐに向ける。正面には歩美の顔。現実に戻される。

「何か言ったか?」

「もぉ〜、やっぱり人の話、聞いてなかった。」

プゥーと頬を膨らましながら、僕をジッと見ている。膨れっ面でも、どことなく可愛い。

「わりい。何だよ?」

「早くサッカーボール独り占めしてないで和樹君にパスしてやってよ。」

見るとやや前方に待ちわびて腕組みしながらこっちを見ている和樹がいる。

「兄ちゃん。人の言葉に流されやすいよ。全く。一体そこで何時までリフティングするつもり?夜まで?」

待ちわびたように話す和樹。えっとここは?そうそうここは公園だった。学校と家の間に大きな森があり、そのそばに広い公園がある。学校の帰り道に僕たち三人は決まってこの公園で遊ぶことが多いのである。

遊ぶのは何時も三人。決まって種目はサッカーボールないし、キャッチボール。まあ、その日の気分によってボールの大きさが変わるのだ。

「よ〜し。」

僕はリフティングしていたサッカーボールを一度だけ空高く蹴り上げた。高さにして四m。

「わあ〜」

歩美の黄色い声が歓声へと変わる。空中で一旦止まり空中浮遊していたサッカーボールはやがて重力に従い、下へと真っ逆さまに落ちてくる。僕は少し身構え、尚も一層遠くに跳ぶように体勢を入れ替える。地上まであと三m。視線を標的である和樹に絞り、すばやく和樹の位置を鷹のように鋭い目つきで追って目視する。地上まであと二m。サッカーボールが頭を通り過ぎたあたりで片方の足を大きく後ろに蹴り上げる。地上まであと一m。落下地点を予測しておおむねサッカーボールが来るであろう落下地点から地上十cmくらいの所をじっとみる。サッカーボールが腰あたりを通り過ぎたところで後ろにあった足を前へ振り子運動しながら、思い切り蹴りだす。研ぎ澄まされた感覚を一点に集中させる瞬間だ。次の瞬間、地上十cmあたりで僕の視線、僕の足、そしてサッカーボールそれぞれのベクトルが上手に一致し、トリプルクロスする。

「とぉりゃあ〜」

僕は叫びにも似た掛け声を和樹に向けサッカーボールに便乗させて送っていた。

どうだ?見たか。決まっただろ?この見事なフリーキック。

肉の焼き具合の中でミディアム、レアー、ウェルダンとあるが、今、蹴ったサッカーボールの威力を例えるなら、かなり焼きの入ったウェルダン仕立てといったところだ。

一瞬、地上数センチで砂煙が巻き起こりサッカーボールは一直線に和樹へと飛んでいった。かなりのスピードである。さっきの和樹のおちょくった言葉に対し、少し力が入ったかもしれないが・・・

「ちょっとぉ〜。手加減してやらないのぉ〜?」

歩美が又かと言わんばかりの声で叫ぶ。半分、呆れている様子が伺える。

「やっぱり調子に乗ってきたな。へっぽこマラドーナ。」

いつも僕にサッカーボールで狙われている恨みを込めつつ和樹は態度を翻し身構えに入る。

剛速球を予期していた和樹はサッカーボールが飛んでくるまで指をくわえて待っているはずもなく自分の体にあたる寸前でヒョイッとサッカーボールをかわしてしまう。まるでサーカスのチンパンジーのような身のこなしである。嫌な予感。

そのままサッカーボールは僕たちの不安をよそに構わず直進を続けていく。公園から出たサッカーボールは、垣根を乗り越え、隣接する民家に向かっていた。あとはお決まりの展開。

「あちゃ〜またやっちまったよ。ここ最近、やってなかったんだよなぁ〜。」

いつもはここでガシャンというくぐもった陶器の割れる音がして、住人である山田のじいさんが血相かえて出てくるのだが今日は音も聞こえて来ないし、じいさんが出ても来ない。

「あれ?おかしいな?」

「じいさん。とうとう死んじまったか?」

「やだあ。もう承君たら。」

じいさん頼むから出てきてくれよ。僕は、そう心の中で願う。

なぜならこれだと僕がサッカーボールを取りにいかなきゃいけない事になる。つまりこっちから敢えて敵地に乗り込まなきゃいけないこの状況。こんなの意外にも初めての経験だったのである。

「和樹、おまえがこの中で一番年下だからボール取りにいってこい。」

「はあ?なんで僕が行くのさ。」

「いつも言ってるだろ?これも社会勉強だと。」

「そんな社会勉強したくない。都合の悪い時だけ兄貴風吹かさないでくれよ。そもそも兄ちゃんが、蹴ったボールだろ?兄ちゃんが取りに行くのが本当じゃないの?いっつもいっつもそんな風に人をこき使うんだから。最低なアニキ。」

「お前が第一、俺の好きなマラドーナ様を出すからいけないんだぞ?」

「そんなの関係ないねえ〜だ。あっかんべー」

「いつもいつも弟をいじめていたら可哀想でしょ。」

「あれ?お前。母ちゃんのような言い方するんだな。和樹の味方なのか?歩美。そもそもお前が早く和樹にパスしてやれ。って急かすからこうなったんだよ。ってことは、お前も責任の一端があるって訳だ。俺とジャンケンして負けた方が取りに行くってのはどうだ?」

「なにそれ?ちょっと待ってよ。なんでそうなるの?それって絶体おかしいでしょ?言っとくけど、いっつもいっつも私は、とっばちり受けてんですからね。絶対嫌です。」

歩美は口を尖らせながら絶対否定の構えである。

「ここのじいさんは一人で住んでいて、いつも寂しくしているんだよ。叱られることは、まず無いし、むしろ大歓迎ムードだ。スイカなんか食わせて貰ったり・・・」

明らかに、僕を見る皆の視線が冷たい。

「え〜っと、この前なんて、イチゴミルクのカキ氷出してくれたっけかな?」

僕は迷いながらも必死になって考え巡らせた。そしてやっと絞り出した答えがこれだった。

「え〜っ?そうなのぉ〜?」

素っ頓狂な声が瞬時に聞こえてきた。みると、歩美の顔が、いきいきしている。しめた。ひっかかりおった。この小娘。

「ああ、本当だよ。冷たくてさあ〜。甘くてさあ〜。おまけにミルクがかかった上から玉になったバニラアイスが乗ってたりしてさあ〜。」

かなりいい加減な想像を働かせながら、僕は和樹が何も言わないように睨み続け、視線で押さえつけていた。

「えっ、フロートにしてくれるの?いいなあ〜。私、そもそもカキ氷には目がないんだよねえ〜。食べたいなあ〜。」

「でも、駄目だな。俺がボールを取りに行くから、お前には諦めて貰うしかない。」

「そんな事、言わないでよ。ねえ、三人で一緒に取りに行きましょうよ。三人で。」

「お前、世間ってものは、そんなに甘いもんじゃないんだぞ。どうしても欲しかったら、自分の力で獲得するもんだ。そうだろ?」

「え〜そんなぁ〜」

「じいさんも大変だろ?カキ氷一つ作るのを、俺たちが三人行ったがために、カキ氷三つも作らなくちゃいけねえというのは。もし俺がじいさんの立場だったら、三人も来てちゃ、カキ氷出してあげたくても、面倒臭くて出さねえ。そんなの嫌なこった。そうだろ?第一どうするんだよ?カキ氷一つ作ればよかったのに三つも作って心臓発作で死んじまったりしたら・・・」

「まあ・・・ね。」

誰も反論はしない。

「まあ、もし行ったとしても、じいさんがカキ氷を出してくれるという保障は無いんだがな。どうする?」

「・・・」

「もういい。わかった。お前には気の毒だが、今日のカキ氷は俺が頂くってことにする。あのキンキンに冷たいカキ氷は俺のものだ。悪いな。恨まないでくれよ。」

「・・・」

「俺、カキ氷食ってると、途中で頭痛くなって大変なんだよ。本当は、食べたくないんだが・・・」

そっと歩美の顔を見てみる。

「まあ、誰もボール取りに行かねえからしょうがねえか。今日は、そのフルートだかフロートだか知らねえが、カキ氷の上にミルクをたっぷりかけて貰ってバニラの玉二個にしてもらおっと。」

「ちょ、ちょっと待ってよ。わ、わかったわよ。かき氷が食べれるにしろ、食べれないにしろ、私が、ボールを取りに行ったらいいんでしょ?取りに行ってあげるわよ。元々は、承君が、蹴ったボールが中に入ってしまったんだから、承君が悪いとは思うけど、いつものことよね。ボールが入ってしまうことなんて。今日は私が取りにいってあげるから。」

堪らずに歩美が口を割る。[へっへ。うまく口車に乗せて、たぶらかせてやったぜ。]まさに僕の今の気分は悪徳業者。和樹が何かを言おうとしているのが判るが僕が一層、睨みを効かして和樹を黙らせ封じ込める。

「本当にいいんだな?もし、カキ氷が出なくても、後悔しないな。」

「女に二言はないわよ。」

「わかった。そこまで言うのなら仕方ない。頼む。」

「うん。任せて。」

凛とした声だった。視線はただジッと真っ直ぐを見て意志の固さが伝わってくる。スタッスタッとしっかり地面を踏みしめ力強く荒い足取りが山田宅へと向かっていた。歩美は門扉を開け、まるで何かをしでかす極道の妻のようにキリリとした形相で中に入っていった。僕は笑いをこらえるのにやっとだった。

「兄ちゃん、歩美姉ちゃんに言っていた事って、本当なの?カキ氷って?僕、今までにおじいさんが、カキ氷を出してくれた記憶なんて無いんだけど。」

和樹が尋ねてきた。

「そんなのある訳ねえだろ。俺も一度も無いよ。」

僕は迷わず即答していた。

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