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その日の就寝前、僕たちは愛知県に行く作戦会議を開いていた。

まず問題になるのが、旅費と愛知県まで行くという交通手段である。

最低でも、二人で行くとなると五、六万円が必要になり、電車乗り換えにおいても、四、五回しないと愛知県には、行けないことがわかった。

片道だけでも一人、一万四、五千円かかるというものだ。そのほとんどが、新幹線の運賃で消えてなくなるのである。

交通の便においても、僕たち、栃木県に住んでいる人間は、関西方面に行く場合、いちいち東京に行かないと、行けなくなっていてとても不便さを感じる。

これら一つ一つの障害が、僕の愛知県へ行く意欲を低くする原因にもなっていたのである。

「やっぱり無理かな〜。」

「何言ってるんだよ。兄ちゃん。あきらめんなよ。」

「だって、五、六万円だぞ。そんな大金、俺が母ちゃんの引き出しから取り出せるわけないだろう。どう考えても一万円が限界だ。それに俺のこづかい六千円と和樹のこづかいの四千円で合わせて二万円。畜生、行きたいなあ〜。第一、新幹線の運賃が高すぎるんだよ。」

すでに母ちゃんの引き出しからお金を拝借する事は予定の一つである。

「鈍行で行けば?」

「そんなことしてたら、いくらこっちを早く出たとしても、向こうに着くのは、夜になっちまう。そんなに、長時間、電車に乗るのは嫌だ。それにだ。俺たち、今まで一度も電車に乗ったことないじゃないか?今までに何回も電車に乗ったことがあるというのなら別だが、電車初心者の俺たちには、無理だ。四、五回も乗り換えするんだぞ?」

「それも、そうだね。」

「はあ〜」

溜息が出ると共に僕たちは落胆の色が隠せなかった。

「東京まで行けば何とかなるんだけどね。」

「何で?和樹。」

「だって、東京には、首都高ってのが走ってるだろ?そこから東名高速ってのに乗っちゃえばいいんじゃないの?」

「お前、もしかして車で行こうと考えてるの?」

「うん。」

「絶対、無理。」

「何で?」

「車だって、高速料金ってものが要るし、またそれに使うガソリン代ってものがいるじゃないか。第一、誰がその車を運転してくれるっていうんだよ?」

「やっぱり無理なんだね?兄ちゃん。」

「無理。」

「はあ〜」

再度、僕たちは溜息をついた。

どう考えても、この障害を乗り越えることは不可能に思えた。

僕は、やるせない気持ちを表わすかのように、ベッドに飛び込み、体を横たえた。

マットレスに体が沈みこんでいくのがわかり、一気に疲れが吹き出て塊となって現れた。

「兄ちゃん、いい方法考えた。」

突然、和樹が大声で言った。

「何?」

「ヒッチハイク。」

「はあ〜?お前、何考えてんだ?俺たち、まだ、小学五年と小学六年なんだぞ。そんなの前代未聞だよ。」

「その前代未聞ってやつを、僕たちが、やってのけてやろうよ。」

「もし、ヒッチハイク出来たとして誘拐されたらどうする?」

「その時は、その時さ。」

「そんな簡単に言うけどなあ〜和樹。そんな事やって、もし殺されたらどうする?」

「だから、その時は、仕方ないって言ってるじゃないか。」

「交通事故にあって死ぬようなことになったりでもしたら?」

「兄ちゃん、くどいよ。そんな事、考えたらきりがないじゃないか?じゃあ今、こうしていたって、窓から包丁持った男が入ってきたら、どうする?それで僕たちは死ぬかもしれない危険性にさらされてることになるじゃないか。」

「・・・」

「僕なんか、おじさんに川で助けて貰わなかったら、こうしてここに居られ無かったんだよ。」

「・・・」

「兄ちゃん。」

「ん?」

和樹は、ゆっくりと深呼吸した。

「僕たちが、もしこの旅で死ぬ運命にあるとしたら鈴木君の父ちゃんみたいに、首吊りみたいな無気力なことをして死ぬんでなしに、何でもいいから自分のしたいことをした上での過程で死んでやろうよ。その方が、格好いいじゃないか。」

「それはそうだけど・・・俺たちまだ若いし・・・ピチピチだし・・・」

「兄ちゃん、昨日、川遊びの時、僕に何て言った?この世の中は事件が起こる度に、閉鎖的になってきて、コミュニケーション不足になっていると言ったよね?大人達が、僕たちに、段々、無関心になってきていると。僕たちが、そんな無関心でいる大人達の顔をこっちに向かせてやろうよ。こういう僕たちのような変わり者がいなかったら、この世の中は変わらないと思うんだ。きっとそんな大人たちの中には、僕たちから、心を開いてくれることを待っていてくれる大人だっていると思うんだ。僕たちが常識を打ち破って閉ざされた大人の世界の扉をノックしてやろうよ。仮に、これが悪い人で僕たちが誘拐されて殺されるようだったら、それはそれで仕方ないよ。神が僕たちに与えてくれた運命だったと信じよう。もし、それで死ぬようだったら本望じゃないか。あの杉山っていうおじさんの本当の目的が知りたくないの?歩美姉ちゃんのことが心配じゃないの?行きたいなあ〜僕。日間賀島の海でダイブしてみたい。兄ちゃん、したくないの?」

「したいさ。したいけど、俺達だけで行くには問題が・・・」

沈黙。そしてその沈黙を打ち破ったのは和樹だった。

「ダイブ・・・」

「ダイブ?この海の無い栃木県からダイブしていくの?お前、馬鹿じゃないの?」

「違うよ。兄ちゃん。僕の言っているのは気持ちの持ち方のダイブだよ。ダイブなんだ。そう、ちょうどボンベが無いようなヴォンベレスダイブしてみようよ。」

「ヴォンベレスダイブ?何だ?そりゃ?」

「海中にダイビングをする時、危険と隣り合わせでも仮にボンベなしで潜っても無事成功に導くチャンスはあるという事さ。海女さんがいるようにね。どう?シュノーケルと言うより格好いいでしょ?これにはボンベが無いという事を強調したい気持ちが含まれている。現代的な頭ばかりが先行する理屈まみれのボンベありダイビングよりも、古風で無鉄砲では有るけれど目的意識を持ったボンベなしダイビングの方が魅力的だと思わない?ちょうど今の僕たちにはそれが必要なんだ。」

「そうか。なるほど。ヴォンベレスダイブか。」

「ただ、ヴォンベレスダイブしたとしても、失敗はつきもの。ただの素潜りに終わるか?成功してあわび、いくらを獲得できるかは神のみぞ知ることさ。ねえ。やってみようよ。」

「でもなあ〜。」

「いいじゃないか?兄ちゃん。」

「ヒッチハイクかあ〜」

「挑戦してみようよ。」

「父ちゃん、母ちゃん心配するだろうなあ〜」

「適当に言い訳考えれば、大丈夫だよ。」

和樹は執拗に絡みついてくる。台風の時のような真剣な眼差しである。

「でも・・・」

「兄ちゃん。」

「ん?」

「僕たちは、確かめたいことがあるよね?」

「ああ。」

「それに・・・」

「何だよ?」

「おじさんの正体つきとめたいし。それに・・・」

「何だよ?」

「心配なんだよ。歩美姉ちゃんのことが・・・それに・・・」

「何だよ?まだあんのかよ?」

「僕たちが行かなかったら、大変な事になるかもしれないんだ。」

「え?何だ?それって?」

「いや、今は、まだ言えない。」

「お前、何か知っていることでもあるのか?」

「・・・」

今まで気づかなかったが、和樹は何かを隠している。

いつの間に、僕の知らないところで、どんな情報を入手したのであろう?

そのほうが、驚きでもある。和樹の情報量、勘の良さは僕よりはるかに凌駕する。

闇の中で蠢く魔物が、僕の知る由もない所で動いているのかもしれない。

あんな和樹を見たのは初めてだった。

しばらくの間、沈黙が続いた。他にいい方法がないのか?僕は、その間中、考えを思い巡らせていた。しかし、どう考えても他にどんないい方法があるのか思いつかないのである。よし。決意は固まった。僕は一度大きく深呼吸して和樹に言った。

「わかった和樹。うまくいこうが、いかまいが、全てはこれも運命と考えてみようか?」

「うん」

和樹は今までにない明るい声で応えている。

「和樹。後悔しないな?もし誘拐されて殺されても、本望と考えられるな?」

「うん。勿論。望む所だ。僕たちは、誰に命ぜられたわけでもない。自分たちで決めたことをしようとしているんだ。」

僕と和樹は、お互いにガッチリ手を組み片方の手の親指を立てていた。我が弟ながら、最近の成長ぶりには目を見張るものがある。しっかりとした考えを持っていることに関心させられたりもする。やってやるぜ、ヴォンベレスダイブ。

作戦会議から一週間が経ち、いよいよ決行の日がやってきた。

男がどうしているのか?気になっていたし、歩美が、あれから連絡がないことに僕たちは心配していた。

まだ、夜が明けきらないうちから僕たちは行動する事にしたのである。

父ちゃんと母ちゃんには、前日に二泊でキャンプに行くと嘘を言い、二人が起きる前に、行動したかったので、引き出しから一万円と僕たちのこづかい一万円の合わせて二万円を持ち、今からキャンプに行ってきます。という書き置きをテーブルの上に残し、僕たちはリュックを背負って急いで家を出発したのである。

いつもラジオ体操のため、早く起きてはいたが、それでも、いつもより三時間、早い起床だった。かなり早い。僕たちが、こんなに早く起きるなんて奇跡といっても過言ではない。それはヒッチハイクが、なかなか思うようにいかなかった場合を想定においているからだ。

体のけだるさは残るが、ひんやりとした冷たさが僕たちを覚醒モードに切り替え、すがすがしい気持ちにさせてくれる。

「あの〜ちょっといいですか?」

夜が明けやらぬ中、朝めしをかっ込むトラックの運ちゃん達が、一斉に僕の大声に注目する。こんな朝っぱらから何だ?と、いぶかしげに僕たちをジロジロ見る態度には、血に飢えた狼の殺気のようなものがビンビン伝わってくる。

生き方には、大きく分けて二通りのパターンがある。

頭でゴツゴツ何かを考えて、やり遂げるパターンと、何も考えず恥も外聞もなく、やり遂げるパターン。僕が今やっている事。それは明らかに後者。

理屈をつけて行動していたら今の僕には永遠に出来るものも出来ないであろう。あえて馬鹿になる。それが、今、この瞬間を生きていく上での術である。

これぞ、和樹の言っていたヴォンベレスダイブ。

ひるんではいけない。大声で言わなければいけない。この人たちの空気に飲まれてはいけない。自分の中で、勝手に作りあげた規則に、逆に縛られてしまい声が震えて止まらなくなる。今いる場所は、国道沿いに広大に広がるドライブイン。

僕は、その中にある食堂で運ちゃんたちに向かい大声をあげて叫んでいた。ここは男臭い、まさに男のためにあるくつろぎの場所である。

「僕たちは、用事があり、どうしても愛知県に行きたいんです。誰か、愛知県に行く人、いますか?もしいたら僕たちを連れて行ってくれませんか?」

何だそんな事か?と判断した後には、一瞬、静まり返った食堂内も、まるで何もなかったかのように、さっきの喧騒が復活する。

「愛知県じゃなくても、東京まででいいんです。誰か、行きませんか?僕たちを連れて行ってくれませんか?」

「・・・」

「ありがとうございました。お食事中、失礼しました。」

皆、僕の呼びかけにはシカトである。というより内心、邪魔扱いされているのが刺すような視線からチクチク伝わってくる。僕たちは、尚も同じことを、それぞれ違う三箇所のドライブインへ行き繰り返していた。

ぬかに釘。

なかなか思うようにいかないものである。仕方なく、東京と書いた紙を、僕が持ち、愛知県と書いた紙を和樹が持って、国道を行きかうトラックに見えるように僕たちは、ヒッチハイクするため国道に立っていた。そうする事でスムーズに事が運ぶと考えたのである。

何台ものトラックが通り過ぎるのだが、一向に停まってくれる気配は微塵も感じられない。

「あ〜あ」

思わず溜息が出てくる。

「兄ちゃん、もう少し頑張ろうよ。」

「おう」

このまま、何時間待っても、トラックが捕まらなかったらどうしよう?という弱音も見え隠れして出現してくる。

やっぱり無理かな?と思い、一つ大きな溜息をついた時である。

突然、頭上に降るように僕は、ある名案が思いついたのだった。

「和樹、ちょっと、俺について来い。」

「兄ちゃん、どこ行くの?」

僕は和樹を誘導していた。

「いいから、ついて来い。」

僕たちは国道から北西方向に向かい歩いていた。

もうすでに東の空が、明るくなっている。僕たちは、急いだ。

五百mも歩くと、違う国道が交差して現れた。

この国道は、今まで歩いてきた国道よりもトラックの往来が激しく、高速道路などに通ずるジョイントの役目を果たしていた。それを北へと少し歩いたところに目的とするものはあった。

「ああ、これは。」

そうである。そこは僕が、以前父ちゃんと歩いていた時に、愛知県に向かうトラックを見つけた工場である。

「兄ちゃん、頭いい。」

「どうだかな。それは、これからのなり行き一つだ。」

早朝だというのに、工場には活気があふれ、人の声が飛び交っていた。僕たちが、到着した時には、もうすでに、いくつかのトラックが国道へと排出されていたのである。

「ここから、どうする?」

「まず、あの守衛の目をくらまして工場内に侵入することが、第一関門だな。」

見ると、入り口の前に限られた小さな箱のようなスペースに一人の男が、椅子に座り工場に出入りするトラックを監視しながら、注意深く周りを伺っている。

僕たちは、しばらくの間、その場にたたずみ、うまくくぐりぬける方法を考えていた。

中から出てくる者。入っていく者。様々で、唯一共通していることは、入り口にトラックを止めて、守衛がいるカウンターに置かれてあるノートに皆一様に記帳していたのである。

「よし。これだ。」

僕たちは、次、中に入るトラック。しかもロングボディーのトラックが入っていったら、トラックの影に隠れつつ、中に入るという計画をたてたのである。

それから五分くらいたっただろうか?一台の超ロングボディーのトラックが入っていこうとして、入り口にトラックを止め運転手はノートの所へと向かったのである。その時を、僕たちは見逃さなかった。すかさず守衛から死角になるトラックの陰に立ち僕たちは身を隠したのだった。その後、三分くらいして運転手は、記帳を終えると運転席に戻り、ゆっくりとトラックを発進し始めたのである。

その瞬間、僕たちは、守衛から陰になった事を逃さず思い切り工場に向かい走っていた。

選んだトラックが超ロングボディーだった事により、僕たちは楽に工場の敷地内に侵入していたのである。

やったぁ〜。第一関門突破。

「さあ、次は三河ナンバーだ。」

僕たちは、駄々広い駐車場に潜入して、縦列駐車しているトラックのナンバープレートを注意深く見て回った。まず最初に驚いたのはその工場と駐車場の大きさだった。

中でも、その駐車されているトラックの多さに度肝を抜かされた。

ゆうに百台は下らないそのトラックの数に僕たちは、ぶったまげた。

普段は、工場の外からではあるが、大きいというイメージは認識していたが、まさかここまでスケールがデカイとは思ってもいなかったことであり、それはこれから僕たちがお願いするであろう申し出に快く承諾してくれるだろうという期待感を増幅するものであった。

千葉、茨城、大阪・・・

トラックの一台一台、いろいろな地域のナンバープレートが存在した。

さらに奥に進んでいった先にちょうど中央部に設けられた事務所のようなところが存在し、隣接した駐車スペースには何台もの乗用車が所狭しと並んでいた。

次から次へトラックが到着したかと思うと運転手の人たちは、事務所に向かって歩いていき、中に入ったかと思うと、しばらくして自分の持ち場である荷物置き場にトラックを縦列駐車させ、順序よく手際よく山のように積んである荷物を荷台に積んでいた。

出ていかんとする運転手のハンドルさばきも確かに普段の行ないによって培った技術というものが生かされていて運転するというよりかは、ハンドルを転がすといった表現が的確に当てはまった。僕たちは、轢かれそうになりながらも、必死になってトラックを探した。

「兄ちゃん、あれだ。」

ようやく見つけた。和樹が、指をさした先には、今まさに出発を目前にした三河ナンバーがあった。よくみると、その辺一角には、三河ナンバーゾーンが設けられていて、いかにも豊田市へ出発するであろうことが推測されたが、止まっている他のトラックには、運転手の影もなく、いつ来るかもわからない有様で、このタイミングを逃したら、計画は水の泡になる恐れがあったのである。僕たちが狙いをつけたその運転手は、運行計画のようなものを見ていたかと思うと、隣りのダッシュボードの上に軽く放り投げ、すばやくサイドブレーキを下ろした後、次の瞬間にはハンドルを大きく右に旋回していた。出発である。荒れ狂うような、エンジン音がマフラーから鈍い響きとともに黒煙を発しながら、噴出していた。

「止まれ〜止まれ〜」

僕たちは、それを見るや大声を出しながら両手を広げ、そのトラックの前に向かい突進していった。

キイィィーーン

「気をつけろ。死にたいのか。このガキゃあぁーー!」

トラックは唸り声をあげて止まったかと思うと続けざま、中から運転手が顔を出し、怒り狂った罵声が矢のように飛んできた。

「すみませんっ。」

瞬時に謝った僕だったが、そのものすごい罵声に、縮み上がりそうになった。

トラックと棒たちの距離はわずかに三十cm。間一髪である。危なく一歩間違えたら、ここで僕たちは仏になっていた所だ。

「どけ。」

運転手が再度、怒鳴った。

ここでひるんではいけない。交渉しないことには。せっかく早く起きてここまで色々やってきた意味がなくなってしまう。

「聞こえないのか?早くどけ。そこの坊主。」

プゥォーーン

まるで船の汽笛が鳴ったかと思う位の耳をつんざく高くて乾いた警音が、僕たちを襲った。

「和樹。いいか。何があっても、ここを動くなよ。」

「あいよ。」

そう言うと僕は、和樹をトラックの前に残し、運転席へと回っていた。

「おい。このトラックが見えないのか?いい加減にしないと、ひき殺すぞ。」

「殺せるなら、殺してください。」

僕は、運転手に向かって言った。

「何ぃ?なんだ?おまえ。目が見えないのか?」

「お願いがあるんです。」

「はあ?」

「だから、お願いがあるんです。」

「トイレなら、あっちだぞ。」

運転手は事務所に向かい指をさしていた。

「そんな事じゃ、ありません。」

「何だ?」

「僕たちを、愛知県に連れて行ってほしいんです。」

「はあ?目だけじゃなく頭もおかしいんじゃないのか?お前。」

「おかしくありません。」

「駄目だ。駄目だ。他を当たれ。」

運転手は、手刀を切って絶対、僕たちの要求には応じられないといった構えである。

「お願いします。」

「あいにく、馬鹿と付き合っていられるほど、俺は時間がねえんだよ。どいた。どいた。」

「どきません。絶対。愛知県に乗せていってくれるまでは。」

「そんなの、飛行機なり、電車なり、車なりで行けばいいじゃないか?」

「お金が二万円しかないんです。」

「そんなこと、俺の知ったことか。お前の父ちゃんやら、母ちゃんに貰えばいいことだろうが。何で、そんなこと、俺が面倒みなくちゃいけねえんだ。」

「僕たちには、父ちゃん、母ちゃんがいません。今朝、施設から抜け出してきたんです。」

苦し紛れに出た嘘だった。それを聞いた運転手の顔色が少し変わった。このチャンス、逃したら、僕たちの計画は全てオジャンになる。僕はそう思っていた。

「お願いします。愛知県にいる友達に会いにいきたいんです。」

「友達?」

「そうです。僕たちと、同じ施設で育ってきた友達に会いに行くんです。」

「その友達は何で愛知県にいるんだ?」

「僕たちと同じように、施設を抜け出して、今、愛知県の日間賀島ってところに、一人で旅行にいっているんです。」

「何も、会いにいかなくてもいいじゃないか。ほとぼりが覚めたら、その友達は、また施設に戻ってくるんじゃないのか?」

「ダメなんです。僕たちが、会いにいってやらないと。」

「おい、どうした?植村?」

いきなりトラックの後ろから人が歩いてきて、運転手に話しかけた。

「何だ。お前ら、邪魔してんじゃねえ。とっとと、どくんだ。」

トラックの前に邪魔をして立っている和樹の存在に気づいた途端、まるで野良犬を追い払うかのように手をしならせて追い払おうとしていた。その時、和樹が大声で叫んでいた。

「彼女は、とても弱い奴で、いつも自分の生い立ちを恨んでは、嫌なことがあったりすると、リストカットしてぶつけようのない気持ちを表していました。この前も、先生に怒られたことをキッカケにリストカットして、挙句の果てに施設を抜け出し、今、愛知県に行っているんです。このまま僕たちが行ってやらないと、友達は自殺するかもしれません。

自殺を食い止めるために、僕たちが行って防いでやらないと。」

和樹はひたすら嘘を並べ立て、トラックの前で運転手の男に向かって、必死に話しかけた。

「どくんだよ。坊主。」

歩いてきた男に、いとも簡単に僕たち二人は、両脇に抱えられ持ち上げられていた。

その直後、トラックは唸り声をあげ、ものすごいエンジン音をふかし去ってしまった。

「離せぇ〜離せぇ〜」

僕たちは、手足をもがいて必死に抵抗を試みたが、男の力には、到底かなうはずもなく、その力に従うしかなかった。

くそぉ〜。第二関門突破ならず。

僕たちは、守衛のいるところまで運びこまれた。

「おい、駄目じゃないか。しっかりみてないと。こそ泥が侵入してたぞ。」

男は、僕たちを下へ降ろすなり守衛の男に向かって怒っていた。

「あれ?何だお前ら。どうしてここに入りやがった?」

男はとてもびっくりした様子を隠す事が出来ないというふうで僕たちに向け言い寄った。

「こんなことが、二度とないようにな。」

「はい。どうも、すみません。以後、気いつけますよって。」

守衛の男は、大変申し訳なかったというふうに、かついで来た男にペコリと頭を下げていた。男は、そのまま踵を返し帰っていった。

「お前ら、どこの坊主だ。あれ?なんか見たことのある顔だな。」

「どうも、すみませんでした。」

すかさず僕はヤバイと思い守衛の注視を浴びることから逃げるように和樹と二人、工場入り口を後にしたのだった。

僕は、ゴールドキッズのチーマー名を思い出されることだけは避けたかったのだ。

ここで親に通報でもされたら大変なことになる。

もしそうなったら、全て計画がぶち壊しになることがわかっていた。

でも計画は失敗に終わってしまった。僕たちは途方にくれて、来た道を戻るしかなかった。空は、もうすっかり明るくなっている。何度も溜息が出てくる。

ブゥゥゥーーーーウゥーン

俯きながら歩く僕たちの横を尻目に、通り過ぎ行く車のエンジン音。それが一瞬、待ち構えていたかのように高くなったかと思うと追い抜いた途端に素早く低音に変化し、逃げるように去っていく。まるで僕たちに対して、びゅんびゅん通り過ぎる車達が、あざ笑い馬鹿にしているみたいだった。

「どうする?兄ちゃん?」

活路が絶たれてしまった状態。

「仕方ない。次をあたるか、違う方法を考えるしかないな。くそぉ〜。二万円じゃ、こうすることしか出来ないからなあ〜。厳しいなあ〜」

次の違う方法といっても、他にあるだろうか?不安である。

先行き不透明なだけに、実行する為には、これから待ち構えている数々の困難に立ち向かわなくてはいけなく、荊棘の道を進むしかなかった。

「はあ〜」

と僕はため息をついたその時である。

プゥォーーン

さっきの汽笛にも似たクラクションである。

音の鳴ったほうに目をやると、そこにはだだっ広いコンビニの敷地内に、さっきのトラックが停まっていた。やった。駄目かと思われたが、思わぬ幸運である。

僕たちは逸る気持ちを抑えて急いでそのトラックに走っていた。

「本当に、いいんですか?」

僕は、トラックに近づき、男に話しかけていた。

「乗れ。」

「お金が、本当にないんですが・・・」

「とっとと、助手席に乗れ。」

「お金なくても、いいですか?」

僕は、改めて念を押す。

「お前は行きたいのか?それとも行きたくないのか?」

「行きたいです。」

「だったら、乗れ。」

「あ、ありがとうございます。」

あくまでも虎視眈々とした男のぶっきらぼうなその態度に僕はあっけにとられた。

トラックの運ちゃんというものは、気性が荒く、短気だと聞いてはいたが、まさかここまで威圧されるとは予想だにしていなかった。

僕たちは、そのトラックの助手席にすばやく乗り込んだ。

プゥォーーン

「俺の名前は植村ってんだ。よろしくな。」

そう言うと汽笛と共に、トラックは爆音発車していた。

コンビニから離れたわき道からシルバーの車が朝日の光を浴びてキラキラ輝いている。車内でそれを一部始終遠くで見ていた一人の男。男は、おもむろに携帯電話を取り出し、電話を掛けていた。

「ああ、俺だ。ガキ達は、ようやく乗りこみやがった。やっぱり睨んだとおりあの会社のトラックだったよ。後から俺もそちらに向かうからな。いいか。しくじるんじゃねえぞ。しっかりやれよ。」

男はそう言うと電話を一方的に切っていた。

トラックの助手席に座ること自体、僕たちは初めての経験だった。

へえ〜結構、快適なんだ。車内の意外と広いことには驚かされた。

椅子は、リクライニングシートになっていて、百八十度倒すことが出来る。

また椅子の背後にはカーテンがしかれてあって奥にはスペースがあり、あえてそこで寝ることも可能であった。

ジュースホルダーには、飲みかけの缶ビール。ん?

これは見なかったことにした。

植村さんは、さっきの言葉を最後に、ずっと黙ったままである。

その場にいて、気まずい雰囲気なのは言うに及ばない。

車内に立ち込める汗臭いにおい。植村さんはデン腹をタンクトップで覆い隠していた。

ここかぁ〜においの発生源は・・・実に男臭い。

ひょっとしてこれを加齢臭というのだろうか?

うまく計画どおりに事が運んで嬉しいとは思う。

でも本当にこのトラックでよかったのか?という疑問さえ湧いてくる。

まあ、仕方ない。乗りかかった船だ。じゃなくて、トラックだ。

トラックは東北自動車道、佐野藤岡インターチェンジから乗り、東京へ向け進路をとった。

トラックの快適な揺らぎ、朝早く起きたことによる疲れのせいで十分もしないうちに僕たちは、眠りの境地へと入っていった。時間にして、ちょうど一時間、僕たちはトラックの助手席で眠りながら身動き取れない姿勢が続いた。

やがてトラックは東京の首都高に合流、そこを尚もお互い無口なままシンと静まり返ったトラックが一台、走り抜けていた。植村さんは、缶ビールを飲み終え、それを灰皿がわりに、ぷかぷかとタバコをふかしている。単調ななりにも色んなことをして、あれやこれや忙しそうにしている。さらに四、五十分走っただろうか?

トラックは渋滞に巻き込まれたり、ジャンクションにさしかかったか?と思うと右へ左へ進路をとった。その度に僕たちの体は、同じように右へ左へとしなっていた。

そんな状況で眠れるわけがない。腰も膝も、直角位のまま凝り固まっていた。最初、快適だと思った助手席は、これじゃあ生き地獄である。

「坊主たち。トイレはどうだ?」

「えっ?」

植村さんの突然の言葉に集中を欠いていた。

「トイレに行きたいか?と聞いているんだ。小便したいなら、パーキングよるぞ。」

「あ、お、おねがいします。」

この死んだように硬直した体を休めることに喜びを感じた僕は、どもりながらの一つ返事。

高速道路のパーキングエリアによること。それは、今の僕たちにとって延々と広がる砂漠の中に、オアシスをようやく見つけたといった存在感があった。

一時の安堵感を得たそんな気分。

やったあ〜。しばらくの間、休憩できる。

そうこうしているうちにトラックは、パーキングエリアに入っていった。

「じゃあ、五分な。」

植村さんが吐き捨てるように僕たちに言う。

「えっ?」

トイレをすませた五分後、僕たちは落胆の色を隠せなかった。

本当に五分間の休憩だった。あと他には、一切のものが切り捨てられ素通りさせられた。

なんだこれ。時間を計ったように、五分後にはトラックが動き出していた。この植村さん。徹底した堅物である。

もうちょっと、ファジィ―に楽しもうぜ。なあ、おっさん。僕たちの心の声だった。

そんなこと言ったら、たちどころにトラックの外へとつまみ出されるのがオチだった。

トラックの運ちゃんは、みんなこうなのだろうか?

いや、そんなことはない。そう思いたい。そう信じたい。

「長時間運転するというのも結構大変ですね。」

親睦をはかるための僕から話しかける苦肉の策である。

「・・・」

「愛知県到着するには何時間かかるの?」

「・・・」

駄目だ。こりゃ。無視かよ。

仕方がないので、兄弟同士、話すことにした。

「おい、今のでいくつジャンクション通り過ぎたんだ?」

「兄ちゃん、今ので五つ目だよ。」

「へえ〜五つ目かあ〜。俺だったら、迷っちまうぜ。」

とにかく、網の目のように張り巡らされた首都高はジャンクションに差し掛かるたびに、縦横無尽に方向を変えた。迷路そのものだった。

「殺す。」

突然、植村さんが口走った。

「えっ?」

「今から、お前達を殺す。」

「ええっ?」

僕たちは和樹と口々に聞き返していた。今の言葉、空耳であることを祈る。

とうとうきたか。来るかも知れないとビクビクしながら待っていた悪い知らせ。

このおやじ、僕たちを誘拐して殺す目的で乗せたんだ。やっぱりそうだったか。

あーもう駄目だ。この状況からして、そんな予感がしていたんだ。

結局、僕たちは死ぬ運命にあった。なんと短い人生だったことか。そう思った瞬間、悲しい思いで胸が一杯になった。予想はしていた出来事であったが、実際に目前に迫っている死の存在を意識すると、いさぎよく死ぬという事は、かなり勇気のいる行為である。でもこうなったら仕方ない。決められた運命に従うまでだ。もしそうなったら仕方のない事と最初からあらかじめ決めていた事だ。しかも自分たちが勝手に決めた事。

もういい。覚悟は決まった。

どうぞなんなりと植村さんの好きなように僕たちを煮るなり焼くなり血祭りにあげるがいい。もう怯えないし、ひるまない。怖さも消えた。

どうせやるなら、ひと思いに、一気に殺してくれ。

「と、もし俺が言ったら、どうする?」

なんだ。冗談かよ。おっさん。冗談にしては、きついぜよ。おっさん。

今の言葉、今の僕たちには禁句中の禁句。あーびっくりした。脅かすなよ、全く。

「困ります。」

「困るだけか?」

「怖い。」

「そうだろ?怖いだろ?」

「うん。」

「駄目じゃないか。こんな無茶な危ないことをしては。お前たちは、まだ若いんだから大切な将来が控えているんだ。もっと自分を大切にしなくちゃ。わかったか?」

「はい。すみません。」

しばらく、沈黙となった。

トラックは、あれだけ渋滞していた首都高をようやく通り抜けようとしていた。

ここまで、高速にのって正味二時間が経過しようとしている。

首都高出口のところにある料金所で高速料金を支払い、次は東名高速に乗ろうとしていた。ようやく、面舵を名古屋、大阪方面にとることが出来る。

進行方向に向け、舵をとれることに僕たちは、まるで第一ラウンドが終わったように、ホッと胸を撫で下ろした。そんな時だった。

「俺の弟がよ〜。」

「えっ?」

「俺の弟・・・」

「うん。おじさんの弟・・・」

「俺の弟はなあ〜。いい奴なんだよ。」

「はあ〜。」

的を得ず突然話してくるから、とても気を使うし、どう受け答えしていったらいいか、皆目見当もつかない。

またしばらくの沈黙。

え?今のもしかしてそれだけ?おいおいそれはないだろ。

「実にいい奴だった。いい奴だったし、いい家庭を持っていた。」

「はあ〜。」

また沈黙。だから、それが何々だよ。もうちょっと、整理して僕に話してくれよ。

おかげで、こっちは頭の中が、かき回されグルグル回っている。まさにパニック寸前。

ん?待てよ?今、いい奴だった。って聞いたような気がする。

ってことは・・・

「いつも、ここを通るたびに、湿っぽくなっていけねえや。」

僕がその植村さんの顔を見た時、手で目のあたりをぬぐっている所だった。そして頬を見た時、涙で濡れているのが判った。鼻をすする音。

僕は、何か場所を特定できるものはないか?と探してみる。

場所を示す白地に青の看板が見え、そこには世田谷と書かれてあった。

そんな時、和樹のお腹が、ぐうぅ〜となった。

そういえば、朝から何一つ口にしていない。

「にぎりめしとお茶だ。食えっ。」

お腹の鳴る音が植村さんに聞こえたらしい。新聞紙に包まれたものが二つと二本のお茶のペットボトルが僕たち二人の膝の上に投げ込まれた。

「ありがとう。」

新聞紙を開けてみるとアルミ箔に包まれた中に、それぞれおにぎりが二つ入っていた。

プシューーー

小気味よい音がしたほうに目をやると、運転席からビールが勢いよくプルトップの周りで泡を出していた。なんか嫌な予感。少し酒臭い。

「あれは、その年が終わろうとする暮れも押し迫った頃だった・・・」

植村さんは語り口調で話し始めていた。

僕たちは、その話を聞きながら情景を頭に思い浮かべていた。

「俺の弟、明は、一階でパソコンを操作していた時、二階で物音が聞こえ同時にガラスの割れる音を聞いたんだ・・・

時計を見ると、午前0時。あれっ?おかしいな?もう妻と子供は寝たはずなのに。

こんな時間まで起きてるなんて。

お〜い、和美。まだ起きているのか?

呼んでも返事がない。

おかしいな?今の物音はなんだったんだろう?あわてて、二階に上がろうとし、階段の下のところに来た時に、暗闇の中、ちょうど階段の上あたりで黒い物体が動いているのがわかる。

なんだ。いるじゃないか?

ところで、今の音は何だったんだ?明はそれが、妻であると勘違いし、話しかけながら階段をのぼり、上まで登りきる。

徐々に黒い物体に近づくにつれて、妻よりも遥かに大きい物体なことに気づく。

あっと思った瞬間、刃渡り二十四cmの柳刃包丁が振り下ろされ首や腕など数箇所、メッタ刺しに刺される。最後の一撃は、頭部に振り下ろされた一撃だった。

あまりに深く入ったため、身長百八十cmの男でも引き抜くことが困難になり、

無理に引き抜こうとしたところ、包丁の先端部分が途中で折れてしまう。

階段上部で起こった惨劇だったが、なんと明は、刺され終わった直後、階段の下へ真っ逆さまに転げ落ちる。

ガタガタガタガタッドッスン!

二階の寝室で寝ていた妻と八歳の娘が、その音に気づく。

お母さん。今、何か音しなかった?

うん。聞こえたわよ。何かしらねえ?ちょっと、見てくるから、ここにいて。

嫌だ。私も一緒に行く。置いてきぼりにされることを嫌がった娘は、母親と一緒に、音のした方へと向かう。

あなたなの?

ドアを開け、妻は叫んでみる。返事はない。

階段に向かい歩いてみる。

踊り場まできてみる。すると、階段横にある窓ガラスが割られ窓が開いているのに気づく。

あれ?おかしい?なぜ、開いているんだろう?しかも窓ガラスが割られてる・・・

そんな時、階段下から、猛烈な勢いで階段を駆け上ってくる黒い物体に気づく。

どうかしたの?あなた。

妻もこれを、夫と見間違えてしまう。

あっと思った次の瞬間、妻も娘も、その場で、首や顔などをメッタ刺しにされてしまう。

ブスッブスッブスッブスッ

永遠に鳴り止むことのない皮が裂かれ肉片が刃物を受け止める音。

激しく動く包丁の左右運動。どうやらこの包丁はこの家にあったものらしい。

犯人は急いでキッチンへ行き、包丁だけを携えて階段を登ってきたのだった。

二人のおびただしいほどの血が、フロア全体を血の海と化す。

どれくらい時間がたったことだろう?

母親と娘のいた部屋の隣にある六歳の息子の部屋のドアが開いたのは・・・

ギイィー

暗闇の中、月光に不気味に青白く照らし出された純白の扉が、ゆっくりと音を軋ませる。

息子は、普通の子供とは違い、意識障害を持っていた。

その息子を、あやめることは、はたちの男にとっていとも簡単だった。

どうしようか考えた挙句、刺殺するでもなく、絞殺するでもなく、口と鼻を塞ぎ、ゆっくりと優しく窒息させていった。こんな殺し方も時には、あったっていい。思わず男の口元は三日月状に吊上がり例えようの無い快楽にニヤリとする。

男は、趣向の変わった殺しが出来たことに、しばし酔いしれていたのだ。

それから、なんと十二時間もの間、男は殺害現場に居残った。

事もあろうに被害者の財布から、札を抜き取り、一階にあったパソコンでインターネットをして楽しんだ。

そして浴室に行き湯船に、お湯をはり、その上にチラシなどを切り刻んで湯船に浮かべた。

犯行後にも拘わらず、冷蔵庫を物色し、ペットボトルのお茶を飲み、メロンをかじり、アイスクリームを食べて楽しい時間を過した。

男は、三日間位この家に滞在する予定だった。ところがだ。隣に住んでいた、たった今殺した家族の母親が、チャイムを鳴らし入ってきたのだ。

男は慌てて、取るものも取らず、その場を後にした。」

これが、全貌だった。あまりのショックに僕たちは言葉を失った。

植村さんが、しゃべり終える。しばらくの沈黙・・・

周りを取り囲んでいたのは、自然に聞こえるトラックのエンジン音しかなかったが、僕たちの耳には地獄の窯が煮えたぎる慟哭の声、そのものだった。

そうか。植村さんが、僕たちの安否を気遣うのは、自分の周りでこれほどの残忍な事件があったからなのか?

僕たちに警鐘を鳴り響かせているんだ。

「俺がな。おまえらを乗せようと思ったのはな。お前らにはリストカットした弱い友達がいると聞いたからだ。俺の弟は死にたくないのに誰だかわからねえ奴に殺されて死んでいった。死にたくもないのにだ。人は独りで死んでいくと言うが大きな間違いだ。てめえ独りだけじゃねえ。人一人死ぬということは俺たちのような周りも大きく狂わせる。そういう現実があるということを判ってほしいからだ。死というものを進んで望むんじゃねえ。そのアンポンタンに言ってやれ。死は望むものでも、獲得するものでもねえ。自然に受け入れるものだ。いいか。わかったな?」

僕たちは、植村さんの強い申し出に深く頷いた。

前に母ちゃんが話してくれた事件の話。台風の時に和樹が話していた鈴木の父ちゃんの死の重み。そしてこの植村さんの話。もし自然死と自虐死を天秤にかけるとしたら・・・

僕は、少しずつではあるが死というものの本当の姿というものが自分の頭の中で形作られてきているように感じていた。

「ひどい事件。」

和樹が静かに言った。

「ああ。何でも、犯人は快楽殺人というものをしたかったみてえだ。」

「快楽殺人?」

「ああ。プロファイリングって知ってるか?事件に基づき当時犯人が何を考えていたか?精神分析して犯人像を作っていくってやつだ。そのプロファイリングのお偉い先生が言っていた事によるんだがな。目の前でゆっくり死んでいく者と同調すると、てめえも最高の悦楽を感じちまうらしい。それが快楽殺人。」

僕たちは事件というものに、怖いながらも興味を持ったが、プロファイリングしながら犯人の心理状態を把握するなんて、とても僕たちにとって意外というか新鮮だった。植村さんは、何でも、その辺のことに関しては、調べ上げているみたいだ。

「犯人は何故、お風呂のお湯に切り刻んだチラシを散乱したの?」

「どうやら犯人にとって風呂場は妄想の場みたいだな。そこで何らかの儀式を執り行うつもりだったらしい。つまり風呂場で快楽殺人の続きとして切り刻もうとした肉体のかわりに、チラシを切り刻みやがった。殺害は、本当は妄想がひろがった風呂場でやりたかったみてえだ。あと一日、時間があったら仏さんを風呂場に運んでやっちまう所だったらしい。犯人にとって唯一の誤算は第一発見者にチャイムを鳴らされ慌ててトンヅラしたことだ。それでも結局犯人は十二時間という長い時間居座わりやがった。すぐにトンヅラしなかったのは、快楽殺人の意味合いが強いとよ。仮にトンヅラしなかったら犯人の頭ん中は仏さんと三日間くらい一緒にいようと考えていやがったらしい。」

「犯人は、今、後悔しているのかな?」

「後悔してるもんか。犯人の世界は異常な心が生み出しやがった快楽の世界にありやがる。現実世界における罪悪感というのは感じてねえってことだ。パソコンしくさっていたのも、やるこたあねえから、暇だったんでやっていたにすぎねえ。初日はメッタ刺しにして、次の日は風呂場でやっちまおうと思ったはず。その間、ひまつぶしでインターネットをしくさった。」

「頭部に包丁の先が残るなんて。」

「そもそも頭部に対するしつけえほどのこだわりは、次のような発生になるみてえだ。誰でも赤ん坊ん時は狭い産道を通るだろ?頭蓋骨の蝶つがいを外して、細長く変形させてシャバに出てくる。これには苦痛が伴う。自然分娩みてえによお。苦痛を取り除く物質が自動的に赤ん坊の頭ん中で創られる。これにより、障害は残らねえらしいが、陣痛促進剤が使われて無理な圧力が掛かりやがると一連の過程が急激に進んじまう。それにより、急激な対応についていけねえで赤ん坊には意識がなくなっちまうほどの苦痛がある。そうした出産時の体験が赤ん坊の精神神経回路というやつにインプットされちまって、時が経っちまったら人の頭部に対する異常な執着心が植えつけられ残っちまうらしい。

刃が残るほどの力を出しやがったことについては、刃の試し切りならぬ、試し突きに使用したという見方が一番みてえで、人が物理的に、どのくらいで死ぬのか?知りたかったという見方みてえだ。」

「息子さんだけ、窒息による殺し方なの?」

「別の殺害方法を試したかったみてえだ。刺殺殺人、絞殺殺人幾つかの殺し方を実践しやがった。また十二時間現場に踏みとどまりやがったのは、仏さんと長くいたほうがてめえにとって楽しいという意味合いがあったみてえだ。今まで言ってきたのは、あくまでも、プロファイリングのお偉いさんたちの見解だぞ。

俺の弟は、こんな血も涙もない愚かな奴によって儚くも命を奪われたんだ。俺は最初のうちは、怒りでとても冷静に考えることなんて無理だった。

でも時間がたつにつれて犯人は、どんな奴なんだ?どんな心理状態で弟を殺そうとしたのか?俺は知りてえと思ったんだ。

それからというものただひたすら、復讐することだけを考えて文献をあさる日々。お前らに、この俺の無念な気持ちがわかるか?」

また、しばらくの沈黙・・・

一つの事件によって僕も和樹もこの植村さんも三人が三様の考えを頭の中で空想し独自の見解を展開しているのは容易に推測できた。

僕は、犯人は何故、殺人という大胆な手段を使い快楽を得ることしか思いつかなかったのか?ということを考えていた。やはり、それには原動力となった何かがあったに違いない。

女性に振られたことによる怒りの方向転換?それとも激しく被害者に怒られたことに対する復讐なのかもしれない。それによって犯人の中に潜む怒り狂った獅子が目を覚ましキレルという感情がむき出しになり、自分で抑えられなくなったのかもしれない。現場にいた訳ではないから何とも言えない。いずれにせよ、とても許されるものではない。

正気でやったとは到底思えないほどの惨劇である。

昔の日本はこうじゃなかった。というのを、よく聞く。

世界の国々から安全な国と言われた日本。

モラルというものに従順で、治安がしっかりしていると言われた国、日本。

今では、それから人々の生活が少しずつ狂い始め、その安全だったはずの日本が崩壊し始めている。

生活する上で困ったとき、本当に助けてくれるのだろうか?と不安になったりする。

見て見ぬ振りをしながらひっそりと生き延びている現実が、今、ここにある気がする。

人々は人と人が結びついて成り立っている調和というものを失い始め、冷酷になった。

冷酷になったがゆえに、ますます悪質になり残忍さが際立つようになってきたといえる。深いところで心を通わすのでなしに、ごく浅いところで自分自身を、ごまかしながら媚びへつらっている姿がある。

だから一端、化けの皮が剥がれるようなことに陥ったら、大変なことになる。

この事件は、まさにそういったことを反映している代表的な事件の匂いがしてならない。

「ちくしょ〜。明が死んだのは、この世界が悪いんだ。明は、今の時代の言うなれば犠牲者だ。ちくしょ〜。」

プシューー

ビール缶を開ける音と共に、すすり泣く声が、遠くのほうに聞こえたが、僕たちは、あまりの眠さに思考回路がだんだんと断線していった。

小気味良い振動が手伝ってか、またもや僕と和樹は夢の世界へと引きずり込まれていったのである。

ん?地震かな?目覚めた時、そう感じた。ここは、どこ?激しく回転するトルク音。濁った音を奏でつつも振動しているエンジン音。そうだ、ここはトラックの車内だった。今の時刻は?太陽の位置からして、どうやら昼時らしい。

車内の揺れは尋常ではない。

体を起こし、車外を見てみる。愛知県という表示板が一瞬ではあるが見えた気がした。しかしこの速度、普通では考えられない。中央分離帯を埋め尽くす一本一本の木々が、車の後方へ消し飛んでいるように目に映る。

左の走行車線を走っている車を見れば短時間の間に次から次へと、ごぼう抜きしているのがみてとれる。今、何キロ出ているのだろうか?そっと、スピードメーターを見てみる。

なるほど、百五十km。速いはずだ・・・

えっ〜ひゃく、ひゃくごじゅうぅ〜〜〜〜ぅ!!!??

僕は、一瞬目を疑った。横には空のビール缶がいくつも転がっていた。それを見たら僕の脇の下は、じっとりと汗をあき、お尻は緊張のあまりシートから浮き上がり出していた。

隣の和樹を見てみる。

グーグー気持ちよさそうに眠っている。よくこの振動の中、眠ることが出来るものだ。

あきれる以外、考えられない。

植村さんを注意したいが注意できない、お世話になっているこの状況。

注意したら、つまみ出される事への計画不履行が、僕の肩に重くのしかかる。

でもやっぱりそんなこと、よくない。

こんなことを許していたら、植村さんのこれからのためにもならないし、第一、僕たちの命がなくなってしまう。僕は、深呼吸して運転手のおやじの顔を見た。

アルコールとスピードのせいで目が充血して血走ってる。

「ちくしょぉ〜なんれ死んれしゃったんらぁ〜・・・!」

ろれつが回ってない。突然、僕はおやじの叫びに気が動転しそうになった。いや、駄目。駄目。注意しないと。

「駄目ですよ。酒飲んだら。それにそんなにスピード出したら、危ないでしょうに・・・」

「あぁ〜?」

植村さんが怒気に満ちた眼差しで横を向いた。

睨みつけられ、僕は思わずその気まずさに目を背け真っ直ぐを見た。その時である。目の先には高速道路の上を横切る高架が見える。そこにはこちらに照準を合わし身構えているように目に映る一人の男が見えたのである。一体何をしているのだろう?全然、検討もつかない。その時、また植村さんのろれつの回らない声が始まった。

「うるへえ。いいらろ〜。おぅれの勝手らろ?おまいぇにゃとやかくぅ〜言われうぅ筋わぁいはねえんらぁろ。いいかぁ〜。そもそもらなぁ〜・・・」

と言った途端、ピシっと鈍い破砕音と共にフロントガラスが砕け散った。一瞬、何が何だかさっぱり訳がわからなかった。和樹が突然フロントガラスが割れたことにビックリして飛び起きた。

植村さんを見てみる。僕は、その状況を見て青ざめた。ハンドルにうなだれているではないか?

「おじさん。どうしたの?大丈夫?植村さん。」

揺すってみた。ハンドルが少しではあるが左に旋回して植村さんの体は僕たちの膝の上にのしかかってきた。僕は咄嗟に押しのけた。前に崩れた植村さんを見てさらに心臓がとび出そうなほど驚いた。

「うわぁぁぁ〜〜」

それを見た和樹が、驚倒するほどの悲鳴にも似た声を発していた。

余りの驚きとその物体のおぞましさを避けるため僕たちは素早く座席に前かがみになりながら立ち上がった。

「し、死んでる・・・」

植村さんは、右のこめかみを銃で撃たれて死んでいた。

運転手のいないトラックは突然左に進路を移し、左車線に移ってもなお左、左と走行していった。このままでは、ガードレールにぶちあたる。

「あぶないぃ。」

ガシャーン!

僕の叫び声と同時にトラックは左側にあったガードレールにそのままぶつかって行った。

何度かのすさまじい衝撃が前輪の角度を変え、トラックを斜め右方向へと前進させて行く。バランスを崩した鉄の塊は完全に進むべき方向を見失い酩酊状態となった。このまま行けば中央分離帯へ突き刺さることになる。しかし重心が定まっていないまま急に右に方向転換したことにより遠心力が働いて、右側車輪が完全に浮き上がりウィリー走行となった。そして左の車輪が支点となって車体全体を反時計回りに回る形となり進路方向へ横転して行ったのである。

ガシャーン!ガシャーン!ギギギギギーーーーーーィ!

その後、五、六m横すべりをし、トラックはようやく完全に道を塞ぐ形で停止した。

ようやく収まったアクシデント。つかの間の静寂。

誰もが、もうこれで終了したと思った瞬間でもあった。そう、ここまでは、よかった。

キィキィキィキィーーーン!ガッシャーーーーン!

凄まじい摩擦音、衝突音。かなり離れた所にいた後続車が、急に起きた変事に対応できず、猛スピードでトラックに向けて突進して行く。白昼の大惨事となった。

バッカーーーーーン

ボッカーーーーーン

トラック&車の炎上。耳をつんざくような物凄い爆発音。巻き上がる黒煙。待ち構えていましたと言わんばかりの静と動の競演。現場は地獄絵図と化していた。

何かが弾け飛び散ったかと思ったら、やがて雨が降るように落ちてきた。

なんだろう?粘着性?赤い?そう、それは血の雨だった。


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